どうかどうかどうか。
 お願いだから。
 貴方への救いとなれ。


                  救い

 外の景色は、内側から空気が温められ窓が曇っているために、よく確認できなかった
が確かに雪が降っていた。雪の日というのは、よく音が響く。
 呼吸の音すら聞こえてくる。その音と同時に漏れた吐息は、宿のなかのはずなのに白
くなっていた。廊下には暖炉はない。不意に見た指の先がじんわり赤くなっている。触
ってみると、驚くほどに冷えていた。

「冷た…!!」
 体がぶるりと震え、それと一緒に黒髪も揺れた。
「寒いねえ…早く部屋に戻ろうか…」

 今現在、彼女が居るのは宿だ。落ち着いた色合いの吹き抜けの屋根。そこからふんわ
りと零れてくる、オレンンジに近い灯り。淡い、真っ白ではなくどこかベージュを帯び
た壁。所々見える観葉植物は、そのシックな雰囲気に、ぱっと灯をともしたように見え
た。空気はひんやりと澄みきっていて、彼女の体をどんどん冷えさせる。

 ちょっとトイレに行ったら寝るつもりだったのに、それだけでもこんなに寒いものだ
ろうか。裸足のせいで足の裏が床に触れるたび、身震いをしたくなる。
 もうちょっとで自分の部屋。やっと寒さから解放される。
 そのときだった。

 ドアが、ちいさく開いていた。
 今日は満室のはずなのに。みんなもう寝てても良い時間のはずだ。
 
 確かここは―そう思い、彼女がのぞき込むと、彼が居た。

 燃えるような赤髪―それはその辺の女性には負けないくらい、艶やかで長い―、線が
細く、そのくせしっかりとした筋肉は付いていて、立派な男性だと言うことを思い知ら
される腕。
 
「ゼロス…?」

 気付いていない。じっくりと見ても、やはりゼロスだ。いつもと違うのは、時折、本
当に時折見せる、切なそうな、悲しそうな…けれど怒りを伴っているような。そんな表
情だった。この類の表情を、しいなはあまり見たことがない。それ故どう表現して良い
か分からなくなるが、それでも心臓の辺りがぎゅうと締めつけられて、泣きたくなる。

 自分が泣いたって、ゼロスへの救いになるはずないのに。
 嗚呼、また心臓が締めつけられる感覚がする。どうにかしなきゃいけないという焦燥
感を伴いながら。気付けば、開きかけているドアノブに手をかけていた。ドアのギシギ
シと軋む音が聞こえた。

「ゼロス…。まだ、起きていたのかい?」
「…ん。まあ…」
 一気に現実に連れ戻された、といった感じでゆっくり振り向いたゼロスを見て、しい
なは何か自身の中で射抜かれたようなショックを受けた。

 …なんて表情をしているのだろう。そう思った。
 さっきまで言いようのない表情だったのに、今すぐにでも泣きだそうな表情をしてい
るのだ。彼は。
 沈黙が流れた。聞こえるのは、穏やかな仲間達の寝息だけだ。
「寒く…ないのかい?…窓なんて、開けて」
「…ああ」
「そっか…」

 会話終了。僅か15秒間。耐え難い沈黙が流れ、しいなは視線を空に泳がせた。

「雪…つもるかな」
 
 一言。たった一言。只、一言。

 何かが切れた。

 泣きそうな顔が、歪んだ。

 いたたまれなくなって彼女は、彼を抱き込んだ。


「しいな?」
「なんて顔してるんだい…!!!」

「…別に」
 気付けば、しいなの目頭の方が熱くなっていって、それが格好悪くて見られないよう
にゼロスの肩に額を押し当てた。
「あんた、泣きそうな、顔してる…」
「平気よ、俺様は」

 その言葉が辛くて辛くて突き刺さって、何処が平気なのかと言うように、彼女は一層
ゼロスをぎゅっと抱きしめた。まるで、子供をあやすように。

「泣いたって…いいんだよ」
「女の子のまえじゃ泣けねえよ」

「いいんだよ。泣いて」
「何で?」

「あたしがいいからさ」
「変なの」  

 彼は薄く笑った。
 そしたら、彼女は「無理して笑うんじゃなく、泣いていいんだよ」といった。

 彼女は、泣くことで全部全部楽にはならないと知っていた。けれど、今は只彼に泣い
て欲しかった。子供のように。


 只、今自分が傍にいて彼に話すことに対して、少しでも救いになればいいと思った。