緩やかに僕を殺す人へ 穏やかな緩やかな陽の光が朱色を透かす。それに触れるとくすぐったそうに身をすく めるものだから、自然と唇が緩やかな陽に負けないくらい緩やかに弧を描く。 くすくす笑いながらページをめくっている人は、その人の髪を撫でる手を「くすぐっ たいだろ」なんて、邪魔だとはちっとも思ってないくせに制した。 からかうように触れていた部分を軽く、細く長い無骨な指ではじくと、今度は「やめ ろってば」と抗議の声が、これまたその言葉とは裏腹な声色であがった。 「勉強しろっていったのアッシュだろ」 少し唇をとがらせて話す青年は、しおりを本に挟むとそのまま閉じた。 「うるせえ」 アッシュと呼ばれた、青年に鏡に映したようにそっくりだが、こちらは幼さはほとん ど残っていない彼は有無を言わさない口調で答える。 「てめえが頭悪いのが悪い」 「勉強よりすることが一杯あったんだから仕方ないだろ」 ペンまわしを器用にしながら、まだ幼さの残る青年は言う。もう「勉強する」という 選択肢は頭の中に残っていないようだ。 「それになあー、昨日アッシュがいないうちにそれなりにやったんだぜ」 今日やっていた部分より三、四ページ前を開き、アッシュに見せる。彼なりに頑張っ たのだろう。散々悩んだと思えるあとの近くに答えや、必死でまとめたであろう歴史な どが書かれている。 ノート見せている青年、ルークは頭が悪いというわけではない。只進んで勉強をした がらないのだ。それだったら外で剣の稽古をつけたりする方が何倍も有意義だと思って いるから。 けれど今現在それを許さないのはアッシュだ。 自分の半身であるルークだけ、公務に関わらないというのはいかがなものか。自分は 朝から晩まで公務に追われているというのに。 二人が帰還してから二ヶ月ほどたった。「オールドラントを救った英雄」と呼ばれる 二人。アッシュはもともと「ルーク」で、ルークはそのレプリカ。 けれど世界は、その二人の「ルーク」を受け入れた。どこまでも、生きたいと願った 二人の存在を。 戻ってからは大変だった。あちらこちらへ行き挨拶やらお披露目など。もともとそう いう舞台が苦手な二人にとっては特に。 そしてそれが落ち着くと今度は公務。けれど、こちらはほとんどルークではなくアッ シュの管轄だった。 ルークは実質七年しか生きておらず、それ故どこか世間知らずだ。あの旅でどんどん 物事を吸収していったが、騙されやすく人を疑うことを知らない。ようするに、間が抜 けているのだ。どこか。そんなルークに小難しい言葉やしきたりばかりが羅列する公務 をこなせるはずがなく。 それにアッシュは意外と世渡り上手だったし、時折言われる嫌みなども無視すること が出来た。この辺が、アッシュとルークの違いだろう。自分に否がない場合は、そう言 う類のものを気にしないアッシュと、自分に否が無くてもずっと落ち込むルーク。 そういうものも混じり合ってか、正直な話ルークは、お堅い公務より、世界を回って 一人一人に手を差し伸べるようなほうが肌に合っていた。偽善といえばそれまでだ。 それでも、自分が感じた縁の見えない絶望や悲しみ、けれどそれを包み込むくらいの 生きている喜び。それを全部背負って、生きる喜びを人に教えたかった。心からの、人 に生きて欲しいという願い。 真の善なんて、この世には存在できない。例えどんなに尊い行為であったとしても、 偽善との線引きをするのはそれを受けたものなのだから。 それでもルークは手を差し伸べる。本人に曰く、汚れてしまった手で。どんなに汚れ ていても、生きていて欲しいと伝えることは出来ると。 けれどそうでばかりもいられないのが、残酷な世界、ではなく人の関係。世界はもう とっくにそんなルークやアッシュを認めている。 国のお偉いさん方―特にレプリカの存在を受け止められないものや、ファブレ家の存 在をよく思っていないもの―はそんなルークを「甘ったれ」という。 それを聞いて黙っていられなくなったのはアッシュをはじめとする、旅の仲間だ。 特にガイなんかは「うちのルークを甘ったれなんて…!!」などといい、「やっぱり ルークは俺がマルクトでひきとる!」とその場のルークをおもいっきり抱きしめて連れ さらおうとしたのは事実。「ガイ、気にしすぎだって」とルークが制したからよかった ものの、ルークが止めなければ、ガイは本気でルークにガルディオス姓を名乗らせる気 だったろう。 昔から、親ばかなのはかわらない。 むしろ、ルークが帰ってきてから悪化したかもしれない。 兎にも角にも、もうルークを「甘ったれ」だの「偽善者」だの言われないためにも、 お堅い公務もしっかりこなせるようにしなければならない。だからこそ、今勉強してい るのだ。 あの旅で吸収はしたものの、知識は絶対的に足りない。視野だってそこまで広い訳で はない。知らなければいけないことが多すぎる。 「…なあ、俺本当に公務とかしなきゃいけないのか?」 「ああ」 コイツには自尊心というものはないのか。アッシュは思う。中途半端な自尊心ほど厄 介で面倒なものはないが、自尊心がなさすぎるというのもいかがなものか。そしてまた 自身も然り。 「甘ったれなのは事実だと思うし」 「…屑が」 器用にペンを回しながら、ルークは空を見上げる。足はぷらぷらと動いていて、外に 出たくて仕方ないことが伺える。 「それにさ」 「なんだ屑」 アッシュが溜息混じりで答えると、ルークはそれはそれは楽しそうに笑う。 「俺が何も出来なくても、アッシュが面倒見てくれんだろ」 本当に何も出来なきゃ困るけどさ、と少しだけ傾いた、さらに緩やかになった陽に負 けないくらい、ルークは緩やかに笑う。 それはまるで世界の絶対の理だというように。この世界に絶対のものがないことを、 ルークもアッシュも知っている。真実は幾つも幾つも世界に存在して、絶対なんて存在 しない。 けれど、ルークはそれが絶対だというように笑う。世界の終わりまで、きっと並んで いるのだと。 互いに年を取ろうが、互いの互いを思う気持ちが変わろうが、そしてどちらかが結婚 しようが、床に伏そうが。 きっと並んでいるのだと。 「…甘ったれるな」 「はは、悪い」 アッシュは少しだけ赤くなった頬を隠すかのように、口元に手を当てた。 とっておきの殺し文句を、何でもないように話す片割れを少し恨めしく思いながら。 こうやって、いつも甘く甘く緩やかに殺されるのだ。 毎日毎日毎日。 憎しみに埋もれていた自分が殺されていって。 嗚呼、そして。 今日も、緩やかに殺される。 アシュルクむずいよ。