始まりは何時だって 朝の眩しい、けれど優しいまどろみの中である少女は目を覚ました。乾いた清潔なシ ーツが肌に心地よい。彼女はくしゃくしゃになった枕からわずかに頭を上げる。その赤 毛には寝癖がかかり、そばかすだからけの顔にかかっていた。 キャッツアイの瞳は当初は焦点が合っていなかったようだが、目を凝らすとそこには 彼女のルームメイトがいた。 低血圧気味の彼女が、任務のない時に自分よりはやく起きるなんて珍しい。 「なあに?もう起きたのぉ?」 すでに整った蜜色の髪を彼女は見つめた。彼女が見つめていた少女は下着の上から、 白く形の整ったブラウスを手に取っていた。恐らくシャワーを浴びたのだろう。甘いシ ャンプーの匂いがする。昨日は寝苦しかった。コロニーの天気というものはひどく人工 的でいびつだ。いびつな天気でも求めるのは何故だろう。自身達が持ち得ることのない ものに対しての、渇望に似た憧れからだろうか。それとも、離れた地球を忘れきれず、 自分達で得ようとしているのか。 どちらにしよ、とんだエゴイズムだ。そう思い、溜息をついた後、彼女は枕元にあっ た天気表を見る。うんざりだ。晴れの印が三つならんでいる。つまり、あと三日間はこ の暑さが続く。 不意に、今は暑さに見舞われてあろう外を、大きいとは言えない窓から見た。 もはや廃墟となりかけたビルに囲まれたここからは、綺麗とは言えない景色ばかりが 見える。廃墟の長く、濃い影となっている部分には、わずかに落ちているパンを必死で 拾っている鼠や、汚れきった子供達が見える。 嗚呼、自分達も彼処にいたのだ そう苦々しく思うと、逃げるようにその景色から目を背け、枕元にあったリモコンを 手に取り、冷房のスイッチを入れる。涼しい風が部屋を通り抜ける。 「ええ。なんだか目がさえてしまって」 しゅるり、と音を立てて絹の肌にブラウスが通る。それをぼうっと見つめていた彼女 もベッドから小さな音を立てて起きあがった。その瞬間、僅かに布ずれの音がする。 起きあがってからも、彼女はルームメイトを見ていた。女性もののブラウスのはずな のに、彼女が着ると男物のYシャツに見える。そんなことを思った。本来腰までしかな いはずの裾はすっかり少女の太腿まで隠していた。肩の辺りではすっかり余っている。 彼女がいつも思うのは、ルームメイトのことだ。本当に不思議な少女。ふいに鼻腔を ダージリンの特有の匂いがくすぐる。いつのまにか慣れてしまった匂い。 ルームメイトが好きなのはダージリンの紅茶だった。それも、ミルクをなみなみと注 いだミルクティー。毎朝ルームメイトは飽きずにそれを飲む。そして、いつものように 彼女にこういうのだ。 「アンジェリカ、貴方も何か飲むかしら?」 「あ、ええ」 アンジェリカ、というのは赤毛の少女の名前だ。本人が気に入ってなかろうが、それ は彼女自身の名前なのだ。 「…ねえ、アンジェって呼んでって言っているでしょ?」 彼女自身はその名前が正直あまり好きじゃなかった。アンジェリカとは花の名前だ。 そして天使という意味らしい。Angelicosからきているのだと、ルームメイトは言って いた。アンジェリカは神仏に興味はないし、信じたこともない。祈る必要があるなんて 思ったこと自体なかったのだ。そんな自分が「天使」なんてたいそうな意味の名前をも らっていいものか、と思うし。だから、フルネームではなく周りの人々にはアンジェと 呼ばせている。けれど、ルームメイトだけは何度言っても直してくれない。 「何で駄目なのですか?アンジェリカはアンジェリカでしょう。この世界に名前で呼ん ではいけないなんて法律はないはずだわ」 そういうとルームメイトはカップを口に運び、アンジェリカを横目で見た。 「…わかったわよ。いいわ、私もシャワー浴びてくる」 「あ、結局何を飲むのです?」 慌てたように彼女はティーカップ口を離した。湯気がカップから上がる。 「ん〜…。じゃあ、今日はリリーナと一緒で」 「へ?あなた…ダージリン嫌いじゃなかったかしら?」 リリーナと呼ばれた彼女のルームメイトは、目を丸くして驚いた。 「ん?リリーナがいつも美味しそうに飲んでるからね。たまには…って思って。いっつ もレモンティーじゃつまんないでしょ?ミルクたっぷりいれてよ」 「ええ!!でもミルク沸かし直さなきゃいけないから、シャワーを浴び終わるまでに沸 かしますね」 そういうと蜜色の髪を揺らし、キッチンの方へ嬉々としてかけていった。それをみる とアンジェリカも笑ってバスルームへと向かっていき、途中で止まった。 「あ!まず服をちゃんと着なさいよ!冷えるわ」 はい、と奥の方から声が聞こえたがあの調子じゃ駄目だろう。そう思うとまた笑みが 零れた。ひねったシャワーは冷房に慣れた体にはひどく熱く、体にしみこんでいった。 バスルームのドアを開けると、石けんの匂いに混ざってダージリンの匂いがした。相 変わらず彼女は有言実行が得意だ。そう思い、またアンジェリカは笑った。タオルを取 り念入りに、けれど素早く髪と体を拭く。そのあと下着だけ着けて真っ白なバスローブ を羽織った。折角紅茶を入れてもらったのだ。はやく行かなければもったいない。 「まあ、リリーナ。結局服をちゃんと着ていなかったんじゃない」 分かっていたことだったが、わざと口をとがらせて彼女をとがめる。それを聞くとリ リーナは笑いながらティーカップを差し出した。 「あらアンジェリカ。あなたもバスローブじゃないですか」 もう、言い訳を、と言いながらアンジェリカはカップを受け取り、口に運ぶ。ちょう ど良い温度になっている。外側の後は内側が暖められた。リリーナは紅茶を入れるのは 好きだったし、上手かった。ティーカップを暖め、葉を入れお湯をまた注ぎ、蓋をする。 ここではお茶と話すことぐらいしか娯楽はない 。 アンジェリカはそれを飲み、ダージリンも悪くないかもしれない、と言う考えが頭を よぎった。 飲み干した頃、聞き慣れた電子音が彼女たち二人の耳に届いた。 「ええ…。私よ。…何?…わかったわ。行けばいいのでしょう?でも、少し待っていて くれないかしら。まだ着替えてもいな…。何?そんな大切な…わかったわ。着替えたら すぐ行くから」 リリーナもアンジェリカの話していた内容だけで合点したようだった。わずかに残っ ていたらしいぬるいダージリンを飲み干すと、飾りの全く付いていないクローゼットか ら服をとりだし、それをすぐに着始めた。 「全く…。朝だっていうのに、非道いわよね。私たちにはお茶をゆっくり楽しむ余裕す らないってことかしら?」 「あら、そんなことはありません。只、今日は運が悪かっただけだわ。きっと」 「…その運の悪さが此処まで続くと正直うんざりなんだけど」 それだけ言うと彼女も、溜息を出した分を取り戻すように熱めのダージリンを一気に 流し込み、同じようにクローゼットから取り出し服を着た。 「地球…」 数分後、冷たく、薄暗い部屋から出てきたリリーナは、ここからは見えるはずのない それを見つめた。