太陽の匂い

 俺は姉上が七つの時生まれた。
 姉上は優しく明るい人で、外でいつも走り回っていた。晴れも雨も、台風すら好きだ
といっていた。雷が苦手なくせに。
 そういうときはきまっていつも俺の部屋に駆け込んで、「怖いな」と泣きそうな顔で
笑っていた。
 花や生き物を愛でる精神というものがいつもあって、その優しさはいつも心地よく温
かかった。

 姉上は、自分で歩くことが出来ない。足の神経がやられてしまったのだ。そうなった
とき、姉上は十二だった。
 姉上は、外に視察に行っている途中馬車にひかれ、足に信号が行かなくなった。
 馬車の持ち主に運ばれてきたときの姉上の表情は、絶望というものだと、まだ五つだ
った自分にも分かった。
 それから姉上は、体の弱い母上と同じように、いつも自分の部屋のベットにいる。そ
していつも大きな窓から、羨望の眼差しで外を見続けている。

「姉上、失礼します」
 三回ノックをして、姉上の部屋に入った。姉上はやはりベットに腰掛けて窓から外を
眺めていた。
 稽古や勉強が終わってから姉上の部屋に来るのはすでに日課だった。五年前からずっ
と変わらない。姉上はずっと妹か弟が欲しかったらしく、俺が生まれたときはそれはも
う喜んだらしい。それ故か幼い頃からずっと一緒で、世界で一番俺と一緒にいる時間が
多いと思う。何から何まで、姉上が教えてくれた。

「…またですか」
 窓を眺めている姿に、ぼそりと呟く。
「あ、アッシュ。稽古、終わったのか?」
「はい」
 軽く会釈をすると、姉上は声を上げて笑った。そんなかしこまらなくて良いだろ。姉
弟なんだから、と。
「俺は、敬語じゃない方が嬉しい」
「…は、い…違、ああ」
 良くできましたと、今度は穏やかに姉上は笑った。姉上は、貴族の娘にしては作法も
口調も全然なっていない。
 本気を出せばそれなりに出来るのだろうが、いかんせん姉上はそうしない。母上や父
上がたしなめても、ペロリと舌をだして、姉上が「面倒くせぇ」といえばそれで終わっ
てしまう。
 まあ、その口調にもそれなりに理由がある。個人的には、納得いかない理由。

「アッシュ、今日はどうだったんだ?」
「特に何も代わり映えしませんでしたが」
「アッシュ」
 ジロリと睨まれ、慌てて言い直す。
「特に何もなかった。ヴァンもいつも通りだった」
「そっか。でも今日は良い天気だったろ? いつもよりやりやすかったんじゃないか?」
「まあ…そうだが」
 だろ? と笑う姉上の笑顔は悪戯っ子のようだった。七つも離れているはずなのに、
自分より、ずっと幼い。

「なあ、アッシュ」
 視線を軽く下げていると、姉上が声をかけてきた。視線を上げると、いつもの格好を
して笑っていた。
「おいで」
 こちらの方を向きベットに座り直し、両手を広げている。来い、という意味だ。これ
も毎日、変わらない。
 小さく溜息をつき、ゆっくり近づいた後軽く飛び込む。
 その途端、広げていた手がぎゅうと回され、髪の毛に頬ずりされる。
 姉上は、十七にもなるのにいわゆる「甘えん坊」だ。特に俺にはべったりとくっつく
ことが多い。気兼ねなくできるから、という理由もあるのかもしれないが。
「それで、他には何があったんだ?」

 いつもくすぐったく触れる髪の毛の感触がない。ほんの一週間前、姉上は姉上の長い
朱の髪を切った。果物ナイフで。見つけたときは心底驚いた。
 ベットに散らばり服にからみつく朱の髪が、まるで血のように見えたのだ。
「だって、あんまり長いと邪魔だろ?」
 理由を尋ねると、こともなさげに言ってみせた。無頓着なのだ。いつもいつも。
 部屋にだって飾りも何もない。ただ白いシーツのしいてあるベットと、花がいつもあ
るだけで、生活感も何もない。物欲も何もないのだ。姉上は。
 きっと唯一望むのは、外の世界。
 そして何より。そう考えたら、腹立たしかった。

「…姉上」
「ん? どうした?」
「今日は、ガイがくる」
 そう言った瞬間の姉上の表情は、きっと世界一綺麗だ。けれど理由は気にくわない。
「―本当か!?」
 嬉しいなあ、と姉上は一層頬を寄せる。
 ガイ、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。隣国のガルディオス家の一人息子。
 以前は敵対関係にあったが、祖父の代で友好的になった家の跡取り息子。
 …姉上の、好きな人。

 ガイは幼なじみで、姉上と一緒によく遊んでいた。彼の姉上が強いせいか、ガイは女
性が苦手だ。俺が生まれる前、それに憤慨した姉上は、今のように男のようなしゃべり
方をするようになった。「俺はガイといっしょにいる!」と言ったらしい。
 ガイも姉上には気兼ねなく触れられるし、傍にいれる。今現在は恋人同士とは言わな
いが、きっとそうなるのだと思う。ガイも、姉上が好きだから。
 そう知った瞬間から、ガイにあまり近づかなくなった。

 自分の一番近くにいる人を、取られるような気がするから。

「アッシュ、また背のびたんじゃないか?」
「…そうか?」
 うん、いいなあと呟いた後、姉上は小さく溜息をついた。けれどそれは悲しいものは
何も含まれてないと知っているから、俺も何も言わない。
「なーんかさ、アッシュがどんどん俺の手を離れて行くみたいでやだなあ。ちょっと前
まで、あんなちっちゃくてよちよち歩きしてたのに」
 やだ、俺も年か? なんて言っている辺りでは、ふざけているようにしか思えない。
 俺は知っている。実際離れていくのは姉上のほうなんだと。

「あーでも、かわんないか、アッシュは」
 次に続く言葉は分かっている。だって、
「だって、太陽の匂いがする」
 
 そうこうしていると、ノックの音が三回鳴った。
「ルーク様、ガイラルディア様がお見えになりました」
「あ、うん、入って!」
 腕の力がゆるまったから、そこから抜け出す。
 ドアが開くと、あの金色が見えた。いつものように、笑っていて。
「久しぶりだな、二人とも」
「だな。ガイ、元気だったか?」
「ああ」
 ガイはどんなに忙しくても一週間に一度は来る。姉上を、外に出すために。
 姉上は、あんなに外が好きだったのに、自分からは外に出ようとしない。ガイが来た
日だけ、車いすを押されて外に出る。一度だけ、理由を聞いた。
 すると、寂しい顔で言ったのだ。
「だって、ずっと外にいたくなって、家から抜け出すかもしれないだろう?」
 

 窓から、姉上とガイの姿が見える。姉上はどこまでも幸せそうだ。
 けれどその光景が苦しく、目を背けた。



 それから三日後、珍しいことが起きた。
 姉上が、自分から外に出たいと頼んできたのだ。俺に車いすを押せと。
「…いい天気だな。太陽が、すごく出てるし、良い風が吹いてる。アッシュはいつもこ
ういう場所にいるから、きっと太陽の匂いがするんだな」
「…違うか、アッシュは、きっと太陽に愛されてるんだな」
 姉上はそれだけこぼした。それきり何も言わなかった。
 只、何か焼き付けている。
 陽も傾いてきて、風が冷たくなったから姉上に帰るよう言った。そうすると、姉上が
重たい口を開いた。

「…アッシュ、俺、来週結婚するんだ」





 
 姉上がそう言ってから一週間後、その通り結婚式は開かれた。
 三日前に婚約発表。めまぐるしくすぎていった。
 真っ白な、豪華なドレスを着て、車いすに乗っている姉上は幸せそうだ。その隣には
ガイが、同じように真っ白なタキシードを着て立っている。俺は離れの方からそれを見
ていた。
 誓いの後、姉上は泣いていた。姉上が泣いているのを見たのは、あの日以来かも知れ
ない。あの、足が動かなくなったあの日。
 そしてそのままで、幸せそうに笑ったのだ。

 ブーケを渡すとき、何故か姉上はガイに押されて俺の方に来た。笑って。

「アッシュが、幸せになれますように」
 そう言って、ブーケを渡してきた。何も言えずに、俯いたまま受け取ると、姉上の手
袋に包まれた手が頬に触れる。
 
「いつも太陽の匂いがするアッシュが大好きだから、幸せになれますように」
 そう言って、額にキスを落とした。


 今はもう、持ち主のいない姉上の部屋にいる。
 少し前までそのにいたはずなのに、消えそうな姉上と同じように姉上がいたという空
気は薄れていて、不快になった。
 いつもここで話をして、抱きしめられた。それはすでに習慣で、稽古が終わるとどう
しても足は此処に向かうのだ。
 
 なのに姉上は、いない。

 それでただ一つ、分かることは。


「太陽の匂いがする」



 あの言葉はもう聞けない、此処で笑うあの笑顔はもう。


 きっと見ることはないんだ。




 泣きながら、あの人の幸せを祈った。











 ガイ姉ルク←弟アシュでした。
 ルークが姉ちゃんってのもおいしいんじゃない? と思ったのですが何故かこんな暗
い方向に。久しぶりに長いの書いたな…。
 「太陽の匂いがする」っていう弟大好きルークと、しっかりもので姉上大好きなアッ
シュが書きたかった。