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夢を見た日の朝は辛い。そこでガイが見るのは大抵彼のことだからだ。 もっと昔、ガイは繰り返し繰り返し、同じ夢を見ていた。その夢がガイを突き動かすものだった。ガイの中に刻みこむものだった。薄れていく感情や記憶を、許さないというように上書きする。そうやって次第に縛り付けられ、ガイの呼吸は拙くなった。ずるずると足を引きずった。耳の奥ではいつまでも響くものがあった。 その同じ夢を見なくなったのはいつの日だったろうか。もうガイには思い出せない。今ガイが夢見ている彼が変えてしまった。彼の存在がガイの奥に焼き付いて、いつの間にか上書きしたのだ。それを好ましく思わない時が、確かにガイにはあった。それまでの夢はガイにとっての存在意義そのものであったのだから。否、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスが生き、ガイ・セシルが存在する意義であったと言うべきかもしれない。しかし、今では違う。上書きされてしまった事実を思う度に、ガイの口や腹のあたりがムズムズし出す。ガイはそれを幸せと呼びたかった。本当は、ずっと前からそう呼びたかった。そして彼に伝えたかった。もっと沢山、何度だって、彼が呆れて嫌がるくらいに。本当は、もっともっと伝えたかったのだ。自分の内に秘めていた本当を、彼だけには正直打ち明けたかった。 夢を見れば、どんな形であれ彼が出てくる。赤ん坊同然だった彼、言葉を覚え始めた彼、沢山のことが怖いと泣いた彼、理不尽さに苛立ちを募らせた彼、外に焦がれた彼、たった一人にまっすぐだった彼、素直じゃなかった彼、変わりたいともがいた彼、必死に償おうとした彼、死にたくないと目を伏せた彼、最後には笑って受け入れた彼。全てガイの知っている彼だった。ガイが憎んで、憐れんで、慈しんだ彼だ。例え少しであっても、それら全てを忘れるものかと思った。あのころの夢とは違って、もっと切迫した感情がガイの中にはある。忘れるものか、忘れてたまるか、覚え続けるのだ、俺だけは、これだけは、そんな声たちがガイの内で響き続ける。夢を見るのは辛かった。けれども、確かに会えることを刻み付けることを喜ばしくも思っていた。 (これで俺はまだ大丈夫だ) 世界は何事もなかったかのように進む。人々は立ち止まらない。何かが失われたって、歩き続けることはできるのだ。泣きたくたって苦しくたって、生きていかなければどうにもならないのだ。ガイはそれをよく知っていた。肉親を失ったとき、ガイだってそれであったのだし。しかし、今度は一人立ち止まることを選んだ。歩き続けたなら、また彼のような存在に出会うかもしれない、そんなもしもの話がガイの足を止めた。 今では失われてしまった彼。だからこそ、これ以上失いたくなかった。また上書きされてしまうなんて、ガイにとっては恐ろしいことだった。上書きされ、彼を失ってしまったなら。想像するたびにガイの背筋に冷たいものが走り、眼球の奥を痛ませた。 (ごめんな、ごめんな) ガイは何度も謝ってきた。そして選び直せない選択肢を思い直す。その度にガイは泣いた。思い返せば、ガイだって間違い続けてきたのだ。自分が知っていたよりももっと。彼が間違えたように、等しくガイも間違い続けては周りを追い詰めた。彼と何も変わりなかったのだ。そのことを思い出す度に知る。そしてまた泣いては謝った。彼だけが失われてしまった。 (お前だけが特別に悪いってことじゃ、無かったのに) だからガイは忘れないでいたい。 そうして認めないでいたい。 「呼ぶもんか」 ベッドの上で呟く。唇から離れた言葉は涙のようにぽつりと落ちた。そのままガイの体に染み込む。祈るような形をとった手を、一層強く握りしめる。骨に確かな痛みが伝わった。 彼は帰ってきたのだと周りは言う。しかしガイは知っていた。彼は彼であるけれど、すべてが彼ではないのだ。むしろ「彼」を構成する一部が彼であって、彼ではありえないのだ。そこに存在する彼は時を刻むことはない。あくまで構成する部分であるから、「彼」の中で彼は止まり続けている。もう二度と、彼はガイを認識しない。そのことをガイは重々理解していた。故に、ガイが再び彼の名前を呼んだことはない。決して認めないと決めたのだ。生きている残像なんて、夢よりも性質が悪い。そこにとらわれてしまったら、ガイの中の彼はぼろぼろと崩れて失われていくだろう。彼のふりをして「彼」が成り代わってしまう。だからガイは立ち止まって、夢の彼を愛し続けることを決めた。一歩も歩き出せていない。 「俺だけは、あいつを呼ばない」 ぼろぼろと涙がこぼれる。声を上げて子どものように泣く。どうしたって呼びたくないのだ。例え人でなしだとか鬼だとか罵られたって、これだけはガイにとって譲れない部分だった。 「にゃぁん」 ぐずぐずとした嗚咽だけが響く中、甘ったるい鳴き声が響いた。それが耳に届いた瞬間、ガイの丸まった背筋が伸びる。それからぐしゃぐしゃの涙まみれの顔で笑って見せた。 「あぁ、そうだな。お腹減ったな」 ベッドから降りれば、猫はガイの足にすり寄る。布越しに伝わる柔らかさがガイの心をそっと撫でた。抱き上げて頬擦りする。途端に猫は嫌がるように唸るから、ガイは苦笑した。 「うん、ごめんな」 「ルーク」 まん丸の翡翠に映るガイは笑っていた。 こうやって呼ぶことの方が、今のガイにとっては代えがたい幸福だった。 ねこみみなお話を書こうとしたのにシリアスになってしまったでござるの巻。 あの「ルーク」を、皆はどうやって認識するのだろう。 |