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握った剣が冷たかった。 冷たく、重い。刃に触れていないはずの指先に、緊張した冷たさが伝わる。柄を握る手のひらにはずっしりとした重さが響く。 血が通うことのない、浴びるだけのものらしいそれに、ルークはそっと瞳を閉じた。奪われた視界の明るさにはなんとなく親しみがある。ルークは優しく目隠しされるような感覚を味わった。 今までこれほどに、剣の冷たさと重さを意識したことがあっただろうか。初めて獲物を殺した時のことを思い出す。初めて殺したのは魔物だった。皮膚を破り、筋肉繊維や血管を引き裂いて、内臓を貫いた。状況がつかめずに頭が混乱する中でも、細かに伝わるそれが衝撃で、ルークを痛め付けた。屋敷でも戯れに包丁を使ったことはあるし、(それこそ数えられる程度だけれども)ナイフを使って肉料理を食べることだって幾度もある。しかしそれらとは全く違っていた。皮膚や筋肉内臓、それらすべてに斬られ、貫かれることへの抵抗があった。確かにルークに伝わってきた。自分と同じように呼吸し、動くものを殺した衝撃と事実。手に伝わって消えてくれない感触と鉄の臭いが、ただひたすらに恐ろしかった。早鐘を打つ心臓が気持ち悪いと思った。血流にくらりとした。何よりも自分が恐ろしかった。そうでなければいけない事実に絶望の切れ端を見た。 剣の冷たさを意識したのは、返り血の温さに気付いた時だった。 (冷たい) ぽつりと、心中のみで呟く。今ではグローブをしているはずの掌にさえ、冷たさが伝わってくる。旅の途中に初めて触れた雪や叩きつけるような雨とも違う、他にこれを持つものはないであろうと思わせる冷たさは、ルークの指先から広がっていって遂には旋毛から足先までを冷やした。 アグゼリュスで山ほどの人を殺したときも、初めて生き物を殺した時に少し似ていた。ただ、自分自身が恐ろしかった。ルークの体であるはずなのに、ルークの意思のままにならない。ルークの望みのはずなのに、ルークの願うままにならない。そうして、人がぼろぼろと死んだ。否、そうしてルークがぼろぼろと殺したのだ。手に残る感覚は違い、そうでなければいけないわけでもなかった。それでも殺す自分を恐れる、それだけが同じであった。 ルークの願いでも無かったのに、そうしてしまった。それはきっと同じだったのだ。 それからは、自分が冷たいと思うようになっていった。殺したのは剣ではない、自分なのだとより理解した。思い知る度に心臓が冷え切っていった。そのうち正しく複製品になってしまった。 未だにそのままである剣の冷たさに気付かないくらい、ルーク自身が冷たくなってしまっていた。 (だから、俺は) 慣れ親しんだ暗闇の中、ルークは思い返す。そういえばルークが暗闇と親しくなったのも、生き物を殺すようになってからだった。昔(とは言ってもルークは殆ど覚えてやいないのだけれど)は夜になると真っ暗闇が怖いとガイに泣きついたものだった。 暗闇が親しくなってから、それからルークは。もう一度、なぞり直す。 甘ったるい部屋の中、彼女の指の温もりを。(蹴飛ばすことで答えてしまった) 冷たい空気の部屋の中、わからなかった彼の涙を。(精一杯の方法だった) 薄暗い部屋の中、作った彼の表情を。(不意に零れ落ちてしまった) 眩しい野原の真ん中で、選んだ彼女の苦しい痛みを。(ただ単純に羨ましかった) 柔らかな匂いのキッチンで、こいした彼女の目尻の赤を。(受け取るには知りすぎた) ああ、そうだったのだ。ルーク自身が冷たくなったから、あんなにも、冷たく。 「ヴァン師匠」 呼ぶ。けれど答えなんて無い。そんなことは重々承知していたのに、今さらながらにルークは苦しかった。ずっとルークが愛していた声で、唇で、例え偽りでもいいから彼に答えて欲しかった。呼んで欲しかった。もう一度。最後の最後に。 そこまで考えて、ルークは眉根を寄せて笑う。こんな自分であるから、こうなってしまったのだろう。こんな自分が大嫌いだったけれど、一方で何処かが愛おしかった。最後まで彼を愛したままでいられたこと。それにまつわる事象がいくら愚かで馬鹿げていても、その気持ちだけはまっすぐであった気がする。彼を愛するということは、よくよく考えればルークの根っこだったのだ。彼を愛したことで今のルークのすべてが生まれた。 「師匠、俺はやっぱり」 抱きしめた。胸の奥、心臓のあたりからこんこんとわき出るものを感じる。温かい。久しぶりに澄み切った想いに浸ることができた。答えが出るには遅すぎたけれど、知らずにいくよりは幸せだった。 冷たい。冷たい。冷たい。いくら抱きしめても彼の体温は逃げていく。存在は失われていく。同時にルークの内も冷たくなっていく。 握った剣が冷たかった。振り下ろした剣が冷たかった。突き刺した剣が冷たかった。 全て選んだルークが、冷たかった。 「ヴァン師匠」 再び呼んで一層強く抱きしめる。ルークの肌や服は彼の血でどんどん濡れた。生温いけれど、すぐに冷たくなっていく。ルークは瞳を閉じる。 きっと彼も冷たかったのだろう。ずっと、ずっと。それに気づかないでいたことが申し訳なかった。出来ることなら、寄せ合って温め合いたかった。 (あなたを、おれは、あなたを) 歪んだ存在でも、愛されなくても、苦しくても、でも、それでも。 彼のおかげで、ここにいる「ルーク」が成ったのだ。 (だいすきでした) 剣が冷たかった。それにはっきりと気付くことが出来たのは、彼に向けたからだ。彼に向けたから、こんなに冷たくて、こんなに苦しいのだ 「ヴァン、せんせい」 冷たい。冷たい。冷たくて、もう。 頑張っていた彼は、足掻いていた、彼も。また、冷たかった。 「おやすみなさい、おつかれさまです。やすんで、いいですから」 とても冷たい、涙がこぼれた。 (だれよりもがんばったあなたに、おやすみなさいを) |