何も掴めない手のひらなんて 導師イオンが死んだ。 あっけなく、少しの形も残さず。 これが、レプリカとしての「死」。どんなモノだってその欠片が残るのに、それが残 ることすらない。 …それは、許されないものの証。 バケモノの、証。 「アニスが…イオン様を殺した!!」 頬を音高らかにはじき、目の前の少女、アリエッタはアニスを責めた。瞳一杯に涙を 溜めて。それの元である感情を、決してこぼさぬよう、暴力的な怒りのみを外側に出し て。 本当に本当にこのとき苦しかったのは、他の誰でもないアニスだった。自分の大切な 人に対する決定的な加害者でいて、平気でいられるほど、アニスの心は強くないし残忍 じゃない。けれど、アリエッタはそんなアニスを責める。 大切な大切な、アリエッタのイオン様。(だいすきでしかたがなかったひと) 最初は彼がアニスを選んだ事実が苦しくて苦しくてたまらなかった。アニスが、大好き なイオンすら憎たらしくて仕方がなかった。けれど、最近は少しずつそれが穏やかになっ ていた。あの人のおかげで、彼が選んだのだから、と少しずつ思いを昇華させようと頑張 っていた。 それなのに、選ばれたアニスはイオンを殺した。間接的とはいえ、確かに殺した。 だからこその、裏切りなのだ。 裏切ったのは他でもないアニス自身の心、裏切る理由だった自分の大切な両親、目の前 のアリエッタ、そしてもう今はいない、会えるわけが無いイオン。 その事実と、アリエッタの悲痛な言葉はアニスの心をえぐった。深く、深く。取り返し の付かないところまで。 「…アリエッタ」 その、彼女の名前が紡がれたのは、意外な人物からだった。 「ルー、ク」 「……」 ルーク。正確に言えばアッシュ―ルーク・フォン・ファブ―レのレプリカ。彼は、イオ ンのレプリカであるシンクと共に現れた。何をするわけでもなく、慰めるわけでもなく、 じっとアリエッタを見つめる。 「ルーク…。…ルーク!!」 うわぁぁぁんと幼い泣き声を上げ、アリエッタはルークに飛び込んだ。胸に縋り、今ま でこぼさなかった涙をこぼした。それは彼の服を濡らし、大きな染みを作った。縋られて いるルークは、アリエッタを抱きしめない。やはり何もせず、只、泣かせていた。シンク も、少し下がって只そんな二人を見つめていた。 「…死んだんだってな」 アリエッタの嗚咽が少しずつ小さくなった頃、ルークは、薄く笑った。何を思っている かなんて、その伏せられた瞳からは思い描くことは出来ない。その瞳はいつも、何か壁の ようなものを先に出しているようなものだったから。 「…預言を詠まされて、人のために死んで…」 「ざまぁねぇな」 「あいつには、何も残らない」 瞬間、空気が凍った。ルークが今この瞬間に口にしたのは、死者に対する冒涜。その人 の生きた証を全て否定する台詞だった。たった、少しの言葉で。 「…イオン様を、馬鹿にしないで!!」 あんたに何が分かるのよ!! 声を張り上げ、アニスは噛みつくように叫んだ。たった 少ししか、一緒にいなかったくせに、何が分かるのかという意味を込めて。 「導師イオンの死を冒涜するなんて…」 ティアも続ける。自分の体を治して、死んでいった人。その人を馬鹿にされるというこ とは、ティアにとってとても苦しいことだったから。するりとその言葉は口から出た。 「…死? は、何言ってんだ」 けれど、ルークはいとも簡単に踏みつぶす。そんな思いを。嘲笑って。 「…こんなんが、人の死だって言えるのか?」 「死体も残らない、空気と一緒。いればいたで、穀潰しと称される」 「そんなのが、人間って言えるのか?」 吐き捨てるように言って、笑ってみせた。 ルークが笑ってみせた瞬間、アニスが、近くにいたガイの剣を鞘から抜き取った。そし て、いつかの立場とは逆に、ルークの喉元にまっすぐ向けた。 以前は絶対的な死の恐怖を感じたが、今度は与える側だ。自分の内から滲み出て溢れる 殺意、憎しみ。それはとてもアニスが、アニスの心が抱えきれるものじゃない。 「…アンタだって、レプリカなんでしょ!?」 必死で、叫んだ。それしか言えなかったから。 「…アニス!?」 咎めるような声が聞こえたが、アニスの殺気は消えない。ルークの喉元に向けられた剣 に、全てが凝縮されている。 「だから、バケモノだって言っているんだろうが。俺が」 剣先は、ルークの喉元で震える。 が、ルークは動じない。それどころか、笑ってみせたのだ。 今まで皆が見たことのないほど、穏やかで、優しい笑みで。まるで全てを許すような、 あんまりにも穏やかな笑みだった。 アニスはそれに驚き、思わず目を伏せた。そのときふいに、ルークに縋ったままだった アリエッタと視線が交わった。そして、そのアリエッタの表情を見て、思わずアニスは持 っていた剣を落としてしまった。 絶望という名の、表情。それはアニスがイオンを失ったときに、ひどく、ひどくそっく りだった。自分で、自分の表情を見たわけではない。それなのに、そっくりだと思ったの だ。容姿的な部分は何一つ似てなどいないのに。 大切な人を、失うと感じる恐怖。 何故アニスは、イオンを失ってしまった瞬間より、もっともっと泣きたくなった。もっ ともっと、泣き叫びたくなった。何でかは全く分からない。これ以上アリエッタを傷つけ るかも知れない恐怖なのか、それともこれ以上人を殺してしまうかもしれないということ に恐れをなしたのか。それとも、瞬間的な怒りを放ってルークのような行動を取ってしま った事実になのか。 泣くまいと、アニスは必死に唇を噛む。 もう一度ルークを見やると、いつものような表情だ。あれは、幻だったのか。 ルークは何も言わず、立ち去った。 ドア側に立っているアッシュには、幻聴かも知れないが、本当に去り際にルークの声が 聞こえた。 「…生きる意味がないのなら、殺されてしまいたい」 振り返っても、何も帰っては来なかった。 黒ルク七話目です。 ここまで続くとは誰が予想したでしょう? 今回はいつもよりルークが黒いです。批判喰らいそうですね。 うん、まあ後悔はしていない。 そして言っておきますが、私アニス好きですよ? 本当に。 そしてお久しぶりです漆黒ルーク様参上。今回も意味深な感じでひっこみましたが。 次はミュウルクに行って山場までの道を造る予定です。本当はそれはこの話に入れる 予定だったのですが、途中で道筋が変わったので。 それでもちょこちょこ道は造っています。気長に待っていて下さると嬉しいです。 山場へ向かって一直線ーー。 すでに終わりまでの脳内プロットは仕上がっているので。 とか言いつつ終わっていないこの事実。 私の作業の遅さを呪ってやって下さい…。