全く歪んで映す鏡 ヴァンを倒した。 そのはずなのに、虚無感が埋まらないのは何故だろうか、とアッシュは人ごとのよう にベッドの中で思った。 やっと念願が叶ったはずなのに、アッシュは浮かない思いだった。帰ることを望んで た家、血を分けた母親に父親。自分の複写人形から自分のものを全て取り返した、はず なのに。ぽっかりと穴が空いては埋まらない。 何故か、あの複写人形の顔がちらちらとちらつくのだ。きっかけは、帰ってきて二日 目のことだ。 「おはようございます、ルーク様」 白光騎士団の皆や、メイドの皆がアッシュに会うたび恭しく頭を下げる。呼ばれるの になれてはいないその名前で呼ばれると、違和感が生じることに内心アッシュは吐き気 がした。これは、間違いなく自分の名前だったのに。 使用人等は皆、自分達の仕えるべきである主が帰ってきて心底嬉しいという表情をし ている。本人ではなく複写人形に仕えていたという事実は、一流のファブレ家に仕える ものとしてはよほど気分を害することだったのだろう。誰も「複写人形のルーク」のこ とは口にしなかった。自分達の中から、存在を消していた。 皆、そうだと思っていた。 だが、公務から帰ってきたとき、偶然にも一人のメイドの嗚咽と、それを宥めるもう 一人のメイドの声を聞いた。泣いているメイドはまだ幼く、アッシュより三歳、四歳程 度年下だろうか。こんな若いうちから奉公になんて来るから苦労するんだ、とアッシュ はそのまま通り過ぎようとする。が、嗚咽の合間に漏れる声を聞いた瞬間、それは叶わ なかった。 「…嫌だわ、私、あの方になんて仕えたくないわ!!」 その台詞は複写人形ではない、『本当のルーク・フォン・ファブレ』を否定する台詞 だった。 「なんてこというの!? こんなの他の方に聞かれたら…」 「聞かれたって良いわ!!」 もう嫌、と幼く涙をこぼす少女は頭を振った。 「どうして? 本物のルーク様が帰ってこられたのよ?」 とんとんと優しく背中を叩いて、少女を宥めるのは泣いている少女より少し年上のメ イドだ。困ったように眉根を寄せている。そのあとに溜息を吐いた。 「あんな恐ろしくて、何を考えているかわからない偽物なんかより…」 「何てこと言うの!!」 触らないで、と嗚咽を一層強くしたあと、少女は背を叩かれた手を振り払う。そして そのまま、だってだってと続ける。駄々っ子のような様子で。 「あのお方は優しかったわ!!」 はあ、と少女は胸を押さえる。年上のメイドは呆れたように告げた。 「そんなの、幻想よ」 「そんなことない!! あなたは知らないだけ!」 手を胸の前で組み、陶酔した様子で少女は言葉を続ける。頬はより一層紅潮した。 「私は屋敷に来たてで、緊張していたわ! ご飯も咽に通らないくらい! その所為で お腹が空いてしまって…。悪いとは思っていても、厨房に忍び込んだの…」 涙を拭いながら告げる少女の台詞を、年上のメイドは呆れたまま聞く。 「あなたそんなことしたの!?」 咎めるようなその口調を気にせず、こくりと少女は頷く。 「そしたら…ルーク様がいたの。お食事をお作りになってて…。私、どうしたらいいか 分からなくて…」 そのときのことを、少女はよく覚えている。 ファブレ家の屋敷に若いながらに奉公に出て、先輩のメイド達に開口一番に言われた ことは。 「いい? 一人息子のルーク様にだけは、必要以上に近づいてはいけないからね!」 マナーより屋敷の説明より何よりも、ルークには近づいてはいけないと言うことだっ た。少女も一瞬だけ見た、眼光鋭く全てを拒絶するような姿をしたルーク。先輩のメイ ド達が言ったようにあまり良い印象を受けなかったので、少女はその言葉に頷いた。 そんな夜、ルークに会ったのだ。 「…何してんだ?」 「え、あ、その、私…」 弁明しようとした瞬間、不運なことにメイドのお腹が豪快に鳴った。誤魔化しようの ない音だ。瞬間、頬は暗闇でも分かるほど赤く染まる。恥ずかしくて思わず俯くが、そ れを見て、ルークはふっと笑ったのだ。 「…ちょっとそこで座って待ってろ」 「は、はい!!」 怖かった。正直何が起こるのかと不安で、腕も足もカチンコチンになってしまった。 何分たったのだろう。そわそわと落ち着かない。もう永遠ほどたったのではないかと 思った頃、ルークが声をかけた。 「おい」 ぶっきらぼうな言い方。それに少女の肩は震える。 「あ、は、はい!」 テーブルに、温かそうに湯気を出すシチュー皿がおかれたのだ。 「え…?」 ルークは自分の方にもシチュー皿をおき、どっかりと椅子に着き、手を合わせ「いた だきます」とだけ呟くとあまり行儀良いとは呼べない様子で口に運んだ。 …どうすればいいのだろう。少女が戸惑っていると、ルークがじっと見据えて言う。 「…腹、減ってるんだろうが。食えよ」 「…これは…」 「…俺が作ったらわりいのか」 「ル、ルーク様にお食事を作って頂くなんてそんな私ごときが…!」 こんなしがないメイドに、と言うとルークは再度ぶっきらぼうに。 「俺が勝手にやったんだ。食え。命令だ」 聞けないのか? とルークは言う。 仕方なしに、少女はスプーンを口に運ぶ。 「…美味しいです…!!」 こんなに美味しいものは食べたこと無い、と素直に思う。上品で、でも高級なものに 多い嫌みが全く感じられず、むしろ素朴な味がした。空いたお腹が一気に満たされるの を感じる。 「…ありがとう、ございます」 食べ終わった後、少女は笑い、ルークの皿を手に取ろうとしたがそれは止められた。 「…てめーが見つかったら首切られるだろ。俺がやっとくからもう寝ろ」 「でも、」 「…いいっつってんだろ。明日から、その分仕事やればいいだろうが」 「…はい!」 自分にあてがわれた部屋に帰る足取りと、心は軽い。じんわりと胸が満たされる。 ああ、誰がなんと言おうと、私はあの人に一生仕えよう。それが私の幸せだ。次の日 から少女は皆が嫌がるルークの世話係に進んで立候補した。ルークは皆に接触しようと はしなかったけど、少女が話しかければルークはそれなりに答えてくれたし、時にだが 笑ってくれた。 「私が仕えるべき人はあの方です。…それだけは変わらないもの」 「…もう、好きにすればいいわ」 「ありがとう」 少女は、泣きやんだ顔でにっこりと笑った。 苛々する。 自分に仕えるのが嫌ならば止めればいい。あの自分の複写人形とイオンの複写人形達 のところにでも行って傷の舐めあいでもすればいい。望むなら、首を切ってやると父と 母の部屋にアッシュは向かった。しかし、ドアの前に来ると何かただならぬ空気が感じ とられ、反射的にアッシュの足は止まる。 「…どうしても、やめるの?」 「はい。奥様、今までありがとうございました」 「…あなたは剣の腕も良いのに…。勿体ないわ」 「ありがとうございます…。それでも、私が仕えるべきなのは今のルーク様ではないの です。…どうか身勝手をお許し下さい」 「…そう、体には気を付けてね」 幸運を、それだけ言う母の声がやけに遠く感じられた。 走って自室に戻った。ベッドに倒れ込む。 何なんだ、あいつは!! 全ての人を拒むと思いきや、特定のヤツには愛想を振りま くとでも!? 腹立たしい。自分は被験者で自分がいなければアイツは生まれなかったはずなのに、 アイツは俺に感謝もしないし、謝るわけでもない。傷だって付かない。そのくせあのシ ンクやアリエッタたちにみせている一面は何だ!? 心底、腹立たしいと思う。 何故俺を拒み、蔑んだ目で見やがる!! そんな苛々は浸食して、アッシュの心を喰らう。 …アイツは、どうしてあんなに拒絶し、拒絶された? 誰も拒絶し、拒絶される複写人形は、ここに居場所がなかったのだろうか? そう思うと、ほんの少しだけ哀れに思った。 それ以来、あの朱が離れない。 ラムダスから手紙を奪い取って。 あいつらに会いに行く。行ったから、どうにかなるわけでもないけど。 兎に角、この苛々は取り除きたい。早く早く早く。焦燥感が支配する。 船の上で風を受けつつ、アッシュは瞳を閉じた。 黒ルークの出番ほぼ皆無な五番目です。 アシュ→黒ルクな感じで。案外サクサク書けました。 メイドさんと白光騎士団の方々は、ルークがレプリカだと分かっても優しい人いたよ なーって思って。私、あの方々に惚れそうです。(え) 次は黒ルクとみんなが再会できればいいななんて。