からから、からから、からから。
 耳の奥では、何時だってその音が鳴り響いていた。

 からから、からから。

 思えばあのとき、自分の存在の行く末は決まっていたのだ。
 あのとき、あの短い三ヶ月が。
 瞳を、閉じた。光を奪われた視界と世界は、驚くほどに静かだ。耳の奥で鳴り響く音とは対照的すぎるほどに。その差に吐き気がした。世界が一つでなんて、あるはずがない。 そう思って、瞳を再び開いた。


 やはり変わらない、淀んだ空から降ってくるものは、何度確認しても清らかとは遠すぎる。もはや、光というにはあんまりに不潔だ。元の清潔さの欠片も見られなかった。しかしその不潔が、今だ変わらずに、ルーク達に降り注いでいるのだ。あまりに汚すぎて、照らすなんて表現は相応しくない。それらはまさに、降り注いで、濡らすのだ。そうやって降り注ぐものを、ルークは無理矢理無視する。その代わりというように、集まり来る自分と同じ存在を、ルークはじっと見据える。まだ、足りない。


 一万。


 そう簡単に口にしてしまえば、何ら重く、大層な数であるような気はしない。唇にのせられると、それは只の「一万」になって、数を表すにはあんまりに頼りなかった。本当なら一万の人(といって、この世界にその言葉をきちんと受け止めて貰えるかと言ったら、違うだろう)が消えるのだ。そんなに簡単に口にして良いはずがない。もっとおびただしく、おぞましくないといけない。
 でもそれを、人々は受け入れる。唇にのせて、軽くなったそのままで。
 理由なんて簡単だろう。十に満たない幼子でも理解できる。只単に、レプリカが唯一ではないからだ。人の胎を介さないからだ。そして何よりも、それらが存在するより、存在しない方が自然で、都合が良いからなのだ。
 それらはあんまりに全うで、もっともな理由であって。

 そこまで思い、ルークは小さく舌打ちをした。すでに生まれたときから、自分達は全うからも、もっともからもはじき出されているのだ。ルークはそれをとっくの昔に知っている。そして彼らも、知っているだろう。そのことに納得しているかどうかは、ルークも含めて、また別問題になってしまうのだけれど。
 ルークが見据える彼らの瞳は、どれも例外なく空っぽだ。瞳の色は沈み込んでいて、眼球に張り付いたようでもある。そして奥が、妙に鈍い光を放っていた。
 自身もきっと、このような様子なのだろう。見当が付いた。

   から、から、からり。

 今だ、耳の奥の音は止まない。








「なん、でっ、あなたたちが!」
 そう僅かに叫びながら、ナタリアは弓を引いた。ナタリアが手を離すと、それは弧を描き、空気を切り裂く音を立ててシンクへと飛んでいく。が、シンクはそれを避けた。そしてすぐに、ガイの懐に入り込んだ。そのまま、鳩尾の辺りに、蹴りを一発ぶち込む。ガイの体は僅かに浮くが、体格差の所為かやはりその程度では倒れない。着地した後、倒れそうになるのをぐっと踏みとどまった。
「…私たちより、ルークの存在を望んでいるのはあなた達でしょう!?」
 譜歌を紡ぐティアの体から、音素が沸き立つ。譜歌が終わるや否や、すぐにティアは叫んだ。けれどそれに、シンクもアリエッタも、何も答えない。ただ、攻撃を避け、機械的に攻撃を仕掛けてくるだけだ。あんまりに冷たい動作に、ティアの背筋が粟立った。

「…解せませんね。私たちならともかく、あなた達まで彼を殺すつもりですか?」
 眉根を寄せて、静かにジェイドが言う。すると、詠唱をしていたアリエッタの肩が、僅かにピクンと跳ねた。その一瞬を、アッシュは見逃さなかった。シンクへと向かっていた足を、すぐさま無理矢理にアリエッタの方へと向ける。
「アリエッタ!」
 気付いて、深紅は叫ぶ。仮面の舌の唇が歪んだ。やはり、どうやったって分が悪いのはシンクとアリエッタの側だ。人数があんまりに違いすぎる。シンクは、アッシュと同じようにしてアリエッタの方へと向かった。勢いよく走り、そのまま、アッシュの背中を踏み台にする。そうして瞬時に、アッシュに向き合った。
「っ!」

「煩いんだよっ!!」
 言って、シンクはアッシュを勢いよく蹴り上げた。その浮いた体を、アリエッタが今まで詠唱していた譜術が襲う。眩しい光が、アッシュの体を包んで爆発した。
「アッシュ!」
 すぐに、ナタリアの悲鳴が響いた。そのあと何か堪えるように唇を結び、回復のために詠唱を始める。ガイが舌打ちをしたあと、素早くアリエッタの背後に回り込む。
 そのあと、まだアッシュの方を見据えていた彼女に、剣を振り落とした。鋭い、暴力的な音がアリエッタの耳付近で鳴った。思わず、アリエッタはぎゅっと目を瞑る。しかし、アリエッタの予想していた衝撃はアリエッタを襲わない。変わりに、頬を温い液体が濡らした。鉄のような匂いがして、ぱちんとアリエッタは目を見開いた。

「…シン、ク」
 シンクの腕が、アリエッタの頬のすぐ傍にある。そのの左腕からは、やはり血がポタポタと落ちていた。覆っていた黒い布が裂け、傷口と色を覗かせた。覗く赤黒いそれは、確かに血の色だ。それを見て、ティアの脳内に、いつかのルークの姿が思い出された。ライガクイーンに噛みつかれたときのルーク。あのときの瞳、姿。それらが今、目の前のシンクと重なる。それをはっきりと自覚して、ティアの息はぎゅうっと詰まった。

「…どうしてっ、邪魔をしないでよ! 止めなきゃいけないの!!」
 ティアは、胸が詰まるのを無理矢理かき消すように叫んだ。ティアにしてはあんまりに珍しい取り乱し方だった。あまりの様子に、仲間であるアッシュ達でさえ振り返る。
「レプリカだって生きているんでしょう!? 私たちはそれを知っているのよ、だから止めなくちゃならない!」


 ある、美しい人がいた。その人は、自らの命を、世界と他人のために捧げた。
 ある、悲しい人々がいた。その人らは、死にたくて死ぬのではないと言った。


 それらが、ティアの脳内をじわりじわりと焼き尽くす。


 シンクは、小さく口を開いた。肩がわなわなと震えている。(それは、傷の所為なんかじゃない)


「…お前らさあ、勘違いしないでよ」

 瞬間、空気が、止まった。
 まるでルークが話しているみたいだと、皆が意識の底で思う。そう思わせるのは、単にその喋り方、発する雰囲気がレプリカ特有のものなのだろうか。何かを、黙らせる空気。


「レプリカだとか、オリジナルだとか簡単に言うけど…」



 誰かの咽が、ごくりと鳴った。予感で、じわじわと肌が汗ばむ。心臓が刻むリズムが速くなる。
 確かに、その先を知っているのだ。







「僕たちは好きでレプリカとして生まれたんじゃない!!」





  聞いた瞬間、全身が総毛立つ。凍えるような寒気が、身体と心を襲った。一瞬、心臓が止まったような気さえした。ありえないというのに。
 その台詞は、戦意を痛めつけるには十分だった。