初めて彼が、自分という存在を疑問に思ったのは十四になったばかりだった。
        ある時、彼が戯れにペーパーナイフをいじっていたとき。
       「…うわっ」
        机に上に乗っていた自身の髪の毛を一房、切ってしまったのだ。切ろうとしていた紙
       と一緒に。グラデーションのかかった朱色の髪は、机の上にさらさらと落ちる。
       (怒られる…!)
        とりあえず、そんなに切ったわけではないが証拠隠滅を謀ろうとし、(彼の周りの人
       々は、いつも彼を閉じこめて必要以上に心配する。それが彼は嫌で仕方ないのだ)慌て
       て髪の毛を掴んだ瞬間。

       「…あれ」
        少しずつ、彼から離れた髪の毛は消えていった。
        色をどんどん透明に近づかせ、まるで空気に溶けるように。
       「何で、だ?」
        ぼんやりと、それを見続けていた彼は全部が消えてから言葉を発した。髪の毛という
       のは、切れると空気に溶けてしまうものなのだろうか。疑問を持ったが、何だか知って
       はいけないような気がして、彼は逃げるようにベッドに突っ伏した。
        少しだけ、怖かった。





        十五にさしかかるとき、彼はいよいよ恐ろしくなった。
        自分で爪を切る度、自分で少し前髪を揃える度。彼の体の一部が彼を離れるたび、そ
       れらは何時も空気に溶けていくのだ。
        彼の使用人が何時もやるように、処分しなくても、消えていった。
        けれど他の人たちは、違う。使用人が髪の毛を揃えたり、爪を切ったりする様子を見
       ても、体から離れたそれは溶けたり消えたりしない。処分されたゴミ箱に入ったままに
       なっている。

        ―これって。
 
        彼が具合を悪くして吐いた吐瀉物だって、流す暇もなく消えていった。
  

       「俺は、一体」

        泣きながら、彼は文献を読みあさった。



        答えは、思いの外あっさりと出て。


        たった一つの本、たった一行の文章。

        それだけで。



        世界を憎む要因は、人を呪う要因は、十分だった。




                                      彼は叫ぶ、彼の痛みを




        彼の耳には、彼を罵る言葉が届いた。その言葉達は、彼を殺そうと一気に襲いかかっ
       てくる。少しの迷いもためらいもない、真っ直ぐな凶器。
        それは突き刺そうとする、締め上げようとする、抉ろうとする。

       「…この、屑が!」
        彼の被験者がそう罵った瞬間、彼の中で、抑えていた全てが壊れた。

         自分が壊した景色と重なったのは、あのとき見た、自分を壊した文章。

       「…ふざけるな!!」
        瞬間、「ルーク」は叫んだ。それによって、今まで彼を殺そうとしていた言葉達は全
       てかき消された。粉々になって、地面に落ちる。
        その彼の勢いに皆、息をのみ目を見開いた。が、瞬時に蔑むようなものに変わった。
       その視線も、彼を罵っている。

       「…存在意義を求めて何が悪い!! 自分以上になろうとして、何が悪いんだよ!! 
       お前らは俺がどんなに欲しくても手に入らないものを持っているくせに!!」
        今まで見たことのないくらい冷たい目で、ルークは言った。彼は縋った。ヴァンの示
       した可能性に。彼は縋った。甘美なる、響きに。   
        ヴァンだって、ルークの中では嫌悪する人物だ。だが、彼の示したものは例え何を犠
       牲にしようと、ルークが欲しいものだった。例えそれが嘘だとしても、何を壊したとし
       ても、ルークが何より欲しいものだった。


       「お前らはいいよなぁ? 辛いだと? は、ふざけやがって!! お前らなんか、甘す
       ぎるんだよ! 実の兄が裏切り、家族が殺された、自分で師を殺した、父親と母親が捕
       まってる、父親が実の父じゃない…」
        ルークは紡ぐ、本人達が隠しているもの全てを。恐れているもの、全てを。
       「生ぬるいんだよ!!」

        言い終わるや否や、ティアの手のひらがルークの頬をはじいた。元々切れ長の瞳はさ
       らにつり上がり、ルークに憎しみ全てを込めて睨んでいる。

       「よく言えるわね、アグゼリュスを、あんなにしておいて!!」
        珍しく、ティアも叫んだ。頬は怒りと屈辱で紅潮していた。ルークは、俯いて何も返
       さない。



       「…何が、分かるんだよ」
       「…何よ」
        やっと口から紡がれたのは、か細い声。



       「貴様らに何が分かる! 俺は、たった一つの本、たった一つの文章に全てを否定され
       たんだ!」
       「お前らは、それでも、人間だろうが!! 俺は死んだって物質にはなれない! 溶け
       ていくだけだ!!」 
         一気に、叫んだ。動物の咆哮に近い、叫び。それは皆の再び皆を驚かせるものだ。

       「俺は、人間じゃないんだよ!!」
        言うルークの瞳は、自分自身と世界と、何より人間を蔑んでいる。その端に僅かに
       浮かぶのは、確かに涙だった。濁ったエメラルドを濡らす液体。

       「だから、理由が欲しかった。認められる証が欲しかった。それを求めて何が悪いと言
       うんだ!! お前らが生まれたときから持っているものを求めて、何が悪いんだよ!」

        誰も、何も言わなかった。言えるわけがなかった。

        だって、皆はすでに持っていて。

       「…誰も俺を人間にしてくれないくせに」


        彼が読んだ本、その中には。


       「人間は、死後物質として、土に還る」


        彼は、土には還れない。

        彼が還るのは、空気。


       「中途半端な憐憫だけ向けるな」


        エメラルドからまた、滴が溢れた。



        




                         ゆうさまへ、捧げます











       人間でいれないこどもの、叫び。


       アンケートに答えて下さったゆうさまに、捧げます。
       一番最初にゆうさまからの台詞を見たときに思ったことを全て詰め込みました。
       黒くなったかは分かりませんが、お気に召して下さったら幸いです。

       転載、持ち帰りはゆうさまのみ可能です。