その傷口に触れるひと



 久しぶりの宿屋は随分気持ちよいものだった。ベッドはお世辞にもふかふかとは言え
ないが、それでも眠気を誘うには十分で、みんなは久しぶりの深い眠りを貪った。
 それはアニスも例外ではなく、年の若い彼女は特にぐっすり眠った。が、夜中に僅か
に聞こえた音に誘われるように目が覚めた。
「うん…?」

 音の聞こえる方に耳を澄ませると、やはり物音がとぎれつつも聞こえる。
 何故かそれが今日ばかりは気になって、音のする方へ向かった。

 トントン、ガシャン!! …トントントントン。
  ジュワッ!! ザッ、ザッ。
(キッチン…?)
 着いてみると、それはキッチンからの音で、よくよく覗いてみると音を発している人
物は、彼女のよく知っている朱色の髪の持ち主だった。
(ルーク?)
 彼はアニスに気付く様子はない。必死で料理に勤しんでいるようだ。

「…前衛的な料理って言われたこと、気にしているのかな…」
 その様子をしばらく見ていた彼女は、ルークが盛りつけを終わらせると同時にぽそり
と呟く。その声に気付いたらしく、ルークは後ろを向いた。

「え、あっ、アニス!?」
 アニスに見られてたことに気付いた彼は、わたわたと両手を動かし、熟れたトマトの
ように真っ赤になっている。
「ルーク、なにしてんの?」
 あはは、と笑いながらアニスはルークに近づく。
 近づいていくと、さっきは見えなかったが数々の失敗作と、さっき作っていたであろ
う美味しそうな匂いを漂わせている完成品が見えた。
「…炒飯」
「うん、見れば分かるけどさあ、何で今作ってるの?」

「…料理ぐらい出来なきゃ、まずいだろ」
 ぽりぽりと頬をかく彼は、なんとも幼く見える。実年齢が七歳だから仕方ないのだろ
うけど。
「アニスちゃんに言えば教えてあげたのに〜」
「そしたらみんなにばれるだろ。ジェイドとかにからかわれそうだし…」

「あ、それはそうか〜」
「だろ?」
 くすくすと笑い声が二人から零れる。

「でも、これルークにしたら上出来じゃない? 美味しそうだもん」
「本当か?」
「うん」
 少しだけ笑っていた彼は、一気に顔をほころばせる。あまりにも嬉しそうなので、ア
ニスにもその気持ちが伝染した。何だか、幸せだとか感じながら。

「よかったら、アニスも食べてみてくれよ」
 はい、と皿とレンゲを差し出す。「じゃあ、珍しく美味しそうだから頂いちゃおうか
な〜♪」と言いながらアニスは受け取るが、受け取った後、その手は止まった。
 受け取ったルークの手のひらが、痛々しい傷で一杯だったのだ。
 それは、今日宿屋に行く前にはなかったから、今の時間で出来たのだろう。深い傷か
ら浅い傷までいっぱいある。しかもそれらは絆創膏の一つも張られておらず、明らかに
ほうっておきました、といった空気が感じられる。

 皿とレンゲをテーブルに置くと、ひっこみかけていたルークの手のひらをアニスは包
み込んだ。
「ルーク…痛そう」
「別に痛くねーって! それに、自業自得だし」
 へたくそが無理するからと、笑う彼の表情が、傷口より痛々しくて、アニスは苦しく
なる。
 無理何かして欲しくない、というかわりにアニスはやたら深い傷口に触れて軽く爪を
立てた。
「っ!」
「痛いんじゃん…」
「平気だって」
「平気じゃない!!」
  アニスの声が一気に響く。それは今まで静かだったせいか余計に響いた。

「!?」
「あ、ごめん…。でも、これじゃ明日剣握れないよ?」

「…うん、でもさ、大丈夫だから気にすんなって。グミも食べるし」
「うん…」
 けれどアニスは手を離さない。傷だらけの手の傷を、一つ一つ優しく撫でる。
 そのたびにピリッとした痛みが、ルークに伝わる。不思議な共有感。それを慈しむか
のようにアニスは傷口に触れ続けた。掘り返すのではなく、触れ続けた。

「ありがとな、アニス」
「へ?」
「心配してくれて」

「…そんなんじゃないよ」

 本当に、そんな綺麗な感情じゃないとアニスは思う。
 勝手なエゴイズムなのだ。この感情の何もかも。笑っていて欲しくないなんて。
 アニスが顔を上げると、ルークは笑っていた。やっぱり笑っていた。その、寂しさも
ともなっている、綺麗な笑顔は、アニスにも、みんなにも苦しかった。
 笑わなくて良いよ。笑わなくて良いよ。その考えばかりが彼女の中で往復する。
 作り笑顔ではない。ルークは本当に笑いたいから笑っているけど、彼の背負っている
感情や何もかもが混じり合って寂しいような、苦しいような笑顔なのだ。
 それをやめさせたくても、みんなには何も出来ない。

「ほら、アニス冷めちまうだろ、食べて感想聞かせてくれよ」
「…うん」

 今だ片づけの終わっていない失敗作を横目に、下を向いて食べた。ずいぶんと成長し
たものだと思いながら。料理だけでなく。
 下を向いていると、涙がこぼれそうだった。何故かは分からないけど。心臓を締めつ
けられるような痛みが彼女を襲うのだ。
 わずかに視線を上げて横を見ると、炒飯の湯気の向こうに朱色が見える。
 
 笑っていてくれているだろうか。そうだといい。 
 彼女は成長した彼と成長した炒飯を並べて味わう。優しいけれど悲しい彼と、まだ粗
いけど美味しい炒飯。

 アニスは、彼が喜ぶ褒め言葉を必死で考えながら、炒飯を口に運んだ。
 こぼれ落ちそうで、滲んでいる涙の存在を、必死で心の中に隠しながら。




 


 もう何が何だか。
 考えているときはまだマシな話だったのに。
 何故炒飯か、というと、兄さんとの会話からです。
 
 ゲーム序盤に。
福「ルークとなっちゃんは料理できなさそーだね。ボンボンと姫さんだし」
兄「…何を言う…」
福「え?」
兄「ルークが炒飯とか上手かったらどうするんだ!!」
福「か、かっこいいーーーっ!!」

結論:駄目兄妹。