ねえ、満たすためのパーツはどこなの? いやだな。ふいに、ルークが口を開いた。食後、満足そうにお腹をさすって、一緒に テレビを見ていたときだった。ガイが、テレビから隣のルークに視線を移せば、ルーク は膝を抱えて体を小さくしていた。伏せられた長い睫毛が影を落として、ルークの顔が 暗く見える。 「どうした?」 労るような口調で問うた後、ガイはルークに少しだけ体を寄せる。そうすればルーク は甘えるようにガイの体にすり寄った。 「明日、ははうえの所に行かなくちゃいけない」 小さい声だった。けれど、それだけでもう十分だった。ガイの心がぎゅっと圧迫され て苦しくなる。それに耐えるように瞳を閉じて、ガイはルークの肩に腕を回した。小さ な嗚咽が、もっと音量があるはずのテレビの雑音をかき消していた。 「ねえおれ、どうすればいいんだか、ぜんぜんわかんねえんだ」 ルークは泣いた。とてもとても静かに。わからなくていいと、ガイは呟く。分かって なんか欲しくなかった。分からなくて良いのだ。ルークがそれに気付いてしまったら、 もうそこで何もかも終わってしまう。そんな世界はもう嫌だった。 「俺も一緒に行くから、大丈夫だから。泣くな」 泣き続けるルークの姿が、あの日あの暗い部屋で見つけた姿とあんまり似ていた。 「ははうえ、」 拙くルークは呼ぶ。けれど目の前の女性は、ふんわりと笑うだけだ。その目の中に本 当の意味でルークはいない。 「…ははうえ、ははうえ、ははうえ!!」 ルークは彼女にしがみついた。彼女の儚げな雰囲気を助長させている白い服に、シミ が一つ二つと生まれる。 「ねえははうえ、がっこうでともだちができたんだ。めちゃくちゃへんなやつで、おれ のことやさしいですねっていってわらうんだ。わけわかんねーよな、やさしいのはあい つのほうなのに。あいかわらずがいのつくるごはんはうまいんだ。きのうもたまごどん つくってくれた。ははうえはりょうりへたくそだったよな、よくこがしてた。おれあん なにちっこかったくせにおぼえてるんだぜ。でもさ、ははうえのつくるおにぎりおれす きだったんだ。なあなんでこんなことになっちまったんだろう。おれもはははうえも、 まちがってたの? ねえははうえこたえて!!!」 彼女は、しがみついたルークの体をそっと抱きしめた。朱色の髪を、優しく梳いた。 それに、ルークの目が開かれる。 「…ルーク。大丈夫、何も、」 それだけ言って、彼女は瞳を閉じた。それきり、喋らない。ルークを抱きしめていた 腕が離れる。子供みたいに拙く笑って、窓の外に視線を投げた。 ルークは泣き叫んだ。わんわん、声を上げて。ガイは苦しかった。自分の中で何かが ガラガラと音を立てている。それがルークの泣き声と重なった。 空は青い。一点の澱みもなくて、綺麗な秋晴れだった。空の果ての果てまで見えそう なほどに透き通っている。けれど、ルークの瞳もガイの瞳も似つかわしくないほどに沈 んでいた。だって、世界は二人のために存在しているわけではない。二人の思いによっ て空が変わるなんてポエティックで非現実的なこと、ありえなかった。 ルークが口元を埋めたマフラーから吐く息は白い。鼻の頭もわずかに赤くて、季節が また変わりゆくことを教える。この前来たときは、じりじりと日が照りつける、やけに 煩い夏だった。その前はやけに浮かれたピンク色が溢れる春だった。次来るときは、き っと白くて閉鎖的な冬なのだろう。 それを想像して、ガイは身震いした。それを誤魔化すように、指先が鼻と同じく僅か に赤い、ルークの掌を握る。ルークの薄暗い色を奥に収めた瞳が、ガイに向けられた。 「…母上、少しだけだけど、俺の名前、呼んでくれたな」 ぽつり。ルークが呟く。雫のように落ちるそれは、ルークとガイの心を濡らす。 「…もう少し頑張れば、回復するかも知れないって」 ぎゅっと、力を込めてガイはルークの手を握る。それとは逆に、ルークの手からは力 が抜けた。 「…‥なあガイ、そう言ってもさ、母上が元に戻ってもさ、そこに本当に母上の幸せは あるのか?母上、また前みたいに笑えるのか!?」 ルークが声を張り上げる。途中、泣き出しそうにひっくり返った。 「…それは、」 「だって母上の望むもの、もう手に入らないんだ! それなのに…」 言って、ルークは頭を振る。長い朱色の髪が揺れる。そのあとルークは自身の足元を 見た。いよいよ存在が頼りなくなる。 「ルー、」 名前を呼ぶことが、止まった。ルークの視線が、ある一点で釘付けになってしまった のだ。ガイも不審に思って、そちらを向く。 そしてすぐに、合点した。 「…アッシュ」 ルークの視線の先には、彼の腹違いの兄がいた。 紅の髪の毛が、冷たい風になびいている。彼の持っている花束が同じように揺れた。 「…なんで、いるんだよ」 「……」 彼は何も言わない。ルークはそんなことどうでもいいように、たどたどしく言葉を紡 いだ。 「なんでおまえが、ここに! かえれよ!!」 「ルーク、落ち着…」 ガイガ咎めるような口調で言い、手を繋ぐ力を強めてもルークは止まらない。繋いで いた手を離して、地団駄を踏み、全身で不快感をあらわにした。 「うるさいうるさいうるさいうるさい! おまえがここにくるしかくなんてないんだよ いっしょになってははうえとおれをおいつめたくせに! ころそうとしたくせに! そ んざいしてればいいってわけじゃねんだよ、もうあのころのおれのすきだったははうえ はもういない!! かえってきたって、ははうえはもうしあわせになれないわらってく れない! それをうばったのはおまえらだろ! てきとーにあわれむなそんなのこれっ ぽっちもいりゃあしねえんだよ!!」 「……!」 「どうせおまえらなんか、おれをあいしてくれないくせに!!!」 そう勢いよく(酸素が足りなくなるのでは、と思うくらいには)まくしあげて、ルー クは走り出した。ガイの制止する声も聞きやしない。 「…アッシュ、ルークはな、ずっとずっと、誰かに恋をしているんだよ」 ルークの背中が見えなくなった頃、ガイはポツリポツリと喋りだした。それはアッシ ュに向けられている内容のはずなのに、どこかガイ自身に言い聞かせているようなしゃ べり方だ。 「最初は、ヴァンだった。次は誰だったかな。幼稚園の先生だった気がする。その次が 所帯持ちの会社員で、その次はペットショップのお姉さんだった。まだまだいるんだけ どさ、忘れた。最近は彼女がいる人だっていってたな。ふられたってぼやいてた」 「…だから」 唸るような口調で、アッシュは問うた。苛々しているらしい。花束が僅かにつぶれる 音がする。 「ルークはな、愛情…特に年上から与えられる無償の愛だとか、そういうのが欠けてい るんだよ。だから、誰かにそれを注ぐ人になら無条件で恋をしている」 「だから、恋をするんだ。絶対叶わない、無い物ねだりをしてる」 ガイは知っているのだ。 ルークが恋する理由も、ルークが求めているものも。 「あげられればよかったのに。でも俺はそんな感情、知らないんだ」 心と思いが歪みすぎてもう、与えられそうになかった。 あと一話です。 このお話のテーマは長髪ルクさまのお幸せなので、ハッピーエンドにはしてあげたい んです。 あれどうしようこの時点で幸せにならないスメルがプンプンするんだ…! (例の如く!!)