『ルーク・フォン・ファブレ』のレプリカは、二人いた。 最初に作られたレプリカが、素晴らしい成功品だったのだ。ヴァンは、このレプリカ はちゃんとした手駒として使うべきだと、瞬時に判断した。変に騙して後々使えなくな るより、元から手足とする方がよほど素晴らしいと思った。 そうして、ファブレ家に帰される、『ルーク』が生まれる。 劣化品ではあったけれど、まあそれなりに上等だった。 片方のレプリカは、ルカと名付けられた。 片方のレプリカは、ルークとして帰った。 ルカは、焦がれていた。 延々と、焦がれている。 片割れに。 モルヒネの痛み 「…さよなら、だ」 長い、美しい髪を自ら切り、「ルーク」は微笑んだ。その笑顔に、思わずティアが固 まる。綺麗だと、素直に思ったのだ。風が、止んだ。 ルカは、自身がレプリカだと聞かされて育った。すぐに、ヴァンの手足として働かさ れた。殺しだった山ほどしたし、汚い仕事でない仕事なんて、ほとんど無かった。六神 将ですら知らない、影。ヴァンの寵愛を受けるこども。 そうやって、ルカは育った。 別段、何とも思わなかった。ルカにとっての殺しはほとんど日常茶飯事のようなもの だったし、それしか生きる術を知らなかったから、疑問にも思わなかった。それだけが ルカの術だったから。 ルークを、見るまで。 「ルーク、あなた本当に変わったわね」 「本当ですね、まあ、卑屈になりましたけど」 二人の言葉に、ルークは微笑んだ。眉根を少し寄せて、困ったように。そうすれば、 一人が大きな手のひらでルークの頭を撫でる。今度は、声を立てて笑った。 ヴァンについてこいと言われて、ルカはファブレ家についていった。勿論、厳重な変 装をして。どうやらヴァンは、もう一人のレプリカの姿を見せて、ルカが自分の元に付 くということを、揺るぎないものにしたかったらしい。哀れな、劣化品の姿を見せて。 自分が恵まれているという事実を知らしめたかったらしい。 「…私は話をしてくる、お前は、ここで待っていなさい」 そう言うなり、ヴァンはルカを置いていった。ルカが待っていろと言われたのは、同 じ「ルーク・フォン・ファブレ」のレプリカである、ルークの部屋だった。部屋の中央 に置かれたベッドを見ると、随分膨らんだ白い固まりがあった。 「…ルーク?」 だいたい見当を付けて、呼ぶ。この部屋にいる人物は一人しか有り得ないから、問い かけてはみたものの自信を持ってその名を呼んだ。毛布の固まりが僅かに動く。それを 確認すると、わざと足音を立ててその固まりに近づいた。 「ルーク」 もう一度、呼ぶ。少し遅れた後に、かたまりはもぞもぞと動いた。毛布の端がやっと 現れて、そこから見慣れた顔と色が覗いた。やはり、それはルカと全く違わない。自分 のすぐ後に作られた、いわば、弟。 けれどレプリカとしての能力は断然、ルカの方が上だった。ルカは訓練の成果もあっ て超振動も使えるし、完全同位体で、戦闘能力も高い。(それ故に、ルカはヴァンの手 元にいる。ルークは、アッシュの身代わりであるルカの身代わりなのだ。何て滑稽なの だろう)それなのに目の前の生き物は、まだまともに歩けもしないし、言葉を喋れない という。 「…変なの」 やっと顔をすっぽりと表した毛布の中の片割れは、がたがた震えている。初めて見る ルカに驚いているのか、それとも人に対しては全てそうなのか、ルカには分からない。 ルークの瞳は恐る恐る、と言った様子でルカを見ていた。時折、「ああ」だの「うぅ」 だの、それこそ赤ん坊のような言葉を発して、毛布をゆるく握っていた。瞳の焦点はは っきりしていなくて、ちゃんとルカが見えているのどうかも、分からない。 これが、自分の。 そっとベッドに飛び乗る。上等なベッドのスプリングが、音を立てずに軋んだ。しっ かりとルークを見据える。 「…ふぇ」 そうすれば、ルークは不思議な声を上げて一層震えた。透き通ったエメラルドから、 同じくらい透き通った滴が零れそうになる。 「泣くな」 それを、ルカはそっと指で拭った。指先を生ぬるい液体が覆う。人の涙(レプリカだ からそう言って良いのかは分からない)に触れたのは、初めてだった。ルカの指先と胸 の辺りがじりじりと痛んだ。 「…温い」 そっと、頬に触れる。一年かそれくらい前に作られたばかりの肌は柔らかく、綺麗だ った。外に出ることもないせいか、ひどく真っ白で瞳とのコントラストは鮮やかだ。い っそ病的なほどには。 「うー?」 しばらくそうしていると、落ち着いてきたのだろうか。ルークがそれこそ赤ん坊が玩 具に興味を示すようにルカを見つめてきた。瞳は確かにルカを映している。 「ふあぁ」 そして、触れた。ルカと寸分違わない大きさの手が、ルカの手に触れたのだ。 「俺、少しは変われたかな」 問えば、返事の変わりに皆は優しく微笑んだ。瞳の色はとても穏やかで温かい。ルー クはそれに、泣きそうな顔で微笑んだ。 衝撃だった。 同じはずなのに、それはあんまりに違うのだ。ルカの手は、傷だらけだ。剣や譜銃を 扱う所為で固くなってもいる。 それなのに、ルークの手は、何にも知らないのだ。 怖くなって、ゆっくりとその手に触れた。穏やかな温かい体温が伝わってくる。 (この手のひらは、何にも持っていやしない) 柔らかく穏やかなこの手が掴むのは、ぬくぬくとしたぬるま湯の世界なのだろう。そ れを甘受して、握りしめて。 そして、何時か手を離したら。 「馬鹿っ…やろう…っ!!」 涙が出た。そのときを思ったら、何故だろうか、涙が出てしまった。こんな気持ちに なったのは存在してから初めてだった。(自身の被験者であるアッシュのことを思った ときだって、こんな気持ちになんてならなかった)泣くことは初めてだった。悲しいな んて、一度も思わなかった。だって、ルカの世界はそれきりだったのだ。与えられた世 界はそれしかなくて、他にも何にも知らなかったのだ。 握った剣が、武器が、ルカの世界の全てだった。 けれどルークの手は世界を知らない。これから、ルカと同じように与えられていくの だろう。はじめは、生ぬるい世界を。それから、とびきり汚くて残酷なものを。 理由なんて簡単だ。それが、ルカの存在理由でそれがルークの存在理由だからだ。そ れを嘆いた事なんて、無かったはずなのに。 「みんな、ありがとう」 「あなたからそんなこと言われる日が来るなんて、思ってもみませんでした」 「まあ、別に悪い事じゃないですし〜。いいことじゃないですかぁ」 ルークの短くなった髪の毛が風に揺れる。緩やかに、穏やかな世界だった。 「うあー?」 「馬鹿、馬鹿っ…! お前は、どうせ、」 (死んじゃうのに) 言葉を飲み込んだ。喉の奥につかえて、出てこなかった。それを言ってしまったら全 てが終わってしまう気がした。 (甘やかされて、でも、ぼろぼろに裏切られて、汚く死んじゃうのに) ルカはその事実をよく知っていた。ずっとずっと聞かされてきたシナリオ。それを不 快だとか嫌だとか、そんな風に思った事なんて無かったのに。 ルークは恐らく、この世界で一番レプリカらしい、シナリオ通りの汚い終わりを向か えるだろう。とても、とても早く。 (この手はどうして、温かいんだよ) 嗚咽が零れて零れて、止めることが出来なかった。涙も同じだった。 「まもる、から」 「ううー」 「おれ、まもるから。おれは、おまえの兄上なんだから。きたなくなんか、ころさせな いから。おれみたいになんか、絶対、させない!」 「おれから生まれたお前を、おれのために生まれたお前を」 触れた瞬間、確かに何かが変わった。ずっとずっと空っぽだった何かが満たされた。 それはひどく心地よく、温かい。脳の奥が甘く甘くしびれて、とろとろに溶けてしまい そうだった。そして同時に、痛みを伴っていた。自分と、ルークの終焉をもう、ルカは 知っていたから。 「まっててくれよ。そして、よんで」 「ふ?」 「俺の名前は、ルカ」 「俺、償うから。どうなっても、償っていく」 握った拳は冷たかった。脈を打つ音がやけに響く。冷たい手のひらを、温かい手のひ らがとる。 「大丈夫、できますわ」 「…ああ、お前なら、大丈夫」 ルークは、俯いたままだった。 「…うかぁ」 その日こどもが呼んだ名前を、誰も知らない。 無駄に長くて申し訳ないです。 次でラストです。