お兄ちゃんの長い半日 下

 とりあえず、どうしたらいいものか。
 幼い弟にしてあげられる遊びなんて自分は知らない。むしろ、遊ぶという感覚も知ら
ないだろう。そう考えていると、ふいにガイと同室だった老人の姿が思い出される。
 …年の功とやらで、何かしら知っているかもしれない。
 行っても損はなさそうだ、と考えつくとアッシュは前髪を掻き上げ、小さな溜息を吐
くと歩き出した。

 が、その数分後、その選択をしたことに後悔した。
 老人―ペールのところにいくまでは、広い廊下を通らなければならない。それまでに
会うメイドや騎士は、自分を見ると驚いた表情を見せ、その次に必死で笑いを堪えなが
ら挨拶をするのだ。
 …似合わないからどうした。
 彼としても似合わないのは重々承知していたので、他人にそういうそぶりを見せられ
ると腹が立つ。なかなか笑いを消さない使用人には、眉間の皺を三割り増しにしてギロ
リと一瞥しておいた。
 
 やっとの思い出庭にたどり着き、探し人の姿を見受けると、アッシュは安堵の溜息を
吐き、ゆっくり歩き出した。
 近づくにつれ、花と土、それから少し青臭い草の匂いが花をくすぐる。この香りが、
アッシュはけして嫌ではなかった。むしろ、好んでいると言ってもおかしくはないかも
しれないとアッシュは思う。
 まあ、そんなことは今はどうでもいいと、ゆっくり眠っている弟が起きてしまわぬう
ちにペールに声をかけた。

「赤ん坊の、相手ですか…?」
「ああ」
 ペールの瞳は、珍しいものを見た、という表現がぴったりな表情だった。それを見て
アッシュは少しだけ気が楽になった。確かに自分には似合わない。けれど、ペールの表
情はそのあとすぐに優しくなったものだから、アッシュも腹を立てる必要は全くなかっ
たのだ。ペールは使用人とかの類の仲で、数少ない好意を持てる人物だった。
 アッシュは子供のくせに、あまり他者との接触をよしとしない。何というか、使用人
達の業務用の笑顔が好きになれないのだ。たまに、そうでない人物もいるが。
 
 一方でペールは、頭の中から記憶を引っ張り出しているらしいそぶりを見せた。けれ
どペールはぼけていないし健康そのものだ。つまり、これは演技である。自分を子供ら
しく甘えさせようとするペールのそんな気遣いが、アッシュは好きだった。
 一応彼の養子であるガイとは違って、素朴さと優しさのみが感じられる。ガイはどん
なに気を遣っても、どこか気障っぽいのが抜けないので、それがアッシュのかんに障る
のだ。

 そうこうしてるうちに、ルークは目覚めたらしく、アッシュの背中で甲高く耳に響く
泣き声を上げた。
 アッシュはそれで目が覚めたかのように立ち上がる。
「アッシュ様、少々ルーク様を貸して頂けないでしょうか」
「あ、ああ」
 ペールの方に背を向けると、腹の辺りにあるひもをゆっくり解く。ペールはそのまま
ルークが落ちないように支え、そのまま抱き上げる。

「ほおら、たかいたかいですよ〜」
 少しゆすったあと、思い切り手を伸ばす。しばらくはぐずっていたルークも、それを
繰り返しているうちにぐずる声は笑い声に変わった。
 あまりにも単純で簡単な作業。けれど、それで笑顔になったルークにアッシュは少し
だけ驚く。それに、普段はガイとアッシュにしか懐かないルークが嬉しそうなのだ。よ
ほどそれが気に入ったのだろう。
「単純ですが、赤ん坊はこれで喜びますよ」
 そんなアッシュの心情を察したのか、ペールは穏やかに笑いながら言う。
「アッシュ様もやってみて下さい」
 そっと渡された重みを軽く揺すって、精一杯手を伸ばす。アッシュは背があまり大き
い方ではないからあまり高さはないが、それでもルークは笑い声を上げた。
 …恥ずかしくて、「たかいたかい」は言えなかったが。

「あとはですねえ…」
 少し思案した後、ペールはルークの顔の前で自身の顔を隠した。
「いないいない…ばあ〜!」
 隠していた手をどけ、少しだけおかしい顔をしてみせる。するとルークはアッシュの
腕の仲でより一層笑った。アッシュも、それを聞くといつの間にか不機嫌でなくとも刻
み込まれるようになった皺が消えた。

「まあ、こんなところでしょうねえ、いまのうちは」
 いないいないばあのおかげでルークのご機嫌が満タンになった頃、ペールは愉快そう
に言った。
「私はまだ庭仕事がありますので、これぐらいしか協力は出来ませんが」
「ああ、邪魔して悪かった」
「いえいえ、いつでも来て下さい」
 アッシュはペールに見送られつつ、自室へと戻っていった。


 そのあと何時間か寝かせ、お腹が減ったと泣くルークにミルクを与えて少し落ち着い
た後、さっきペールに教わったことを実践してみた。たかいたかいは言わなくても喜ん
でくれるようだったからよかったが。
 いないいないばあ、を実践する勇気が、アッシュにはなかった。

「…‥」
 間抜けな台詞の後に、間抜けな顔。教えてくれたペールには悪いが、とてもじゃない
が自分には無理だ。プライドというか、なんというか、そういうものが邪魔をする。
 というか最初の状態より似合わなくて滑稽ではないか?

 だが、弟の喜ぶ顔をもっと見たいと思うのも事実。

 アッシュは悩んだ。それはもう悩んだ。似合うとか似合わないとか恥ずかしいとかそ
う言うことを全部ひっくるめて悩んだ。
 
 そしてやっと、行動してみるかと勇気を振り絞ったそのとき。

「おーアッシュ、ありがと…」 


 戻ってきたガイに見られ、ものすごく笑われてしまった。


 アッシュが、父親にガイの解雇を勧めようとするのは、そのすぐあと。
 ガイがそのアッシュを死ぬ気で止めるのも、そのすぐあと。

 原因の赤ん坊は、自身のベビーベットで、お気に入りのガラガラをいじりながら、満
足に笑っていた。
  






 私もいないいないばあするアッシュはみたくないです。
 上中下にするか悩みましたが上下で。
 アッシュお兄ちゃんお疲れ様。